えんがちょの向こう側

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依神姉妹考

 数か月ほど前に、依神姉妹について記した記事を詳しく、読みやすくしたものです。


 憑依華において依神姉妹というキャラクターが登場しましたね。
 かたや妹。依神女苑は疫病神。
 かたや姉。依神紫苑は貧乏神。
 たいそう嫌われがちな神様で、同時にそれだけ有名でもあります。
 本記事では、その元ネタであるだろう一つの要素を提示するものです。

 疫病神というと何が連想されるでしょうか?
 現代においては不幸をもたらす人や物をさして疫病神なんていうと思います。
 しかし原義としては名の通り病魔、特にあばた(つまり天然痘ですね)の神、疱瘡神として畏れ祀られるものでした。
 幻想郷における女苑のありかたはどうでしょう? どちらかというと、現代における用法に近い気がします。
 本当に病魔をばら撒くだけですと、東方的には土蜘蛛よろしく地底行きか、ガチで祀られる必要がありそうですからね。
 貧乏神のほうは単純ですね、不幸の神という感じ。一応守り神らしいですけど(omakeテキスト参照)。
 

 さて、元ネタを指摘したところで見ていきたいのは彼らの苗字、「依神」です。
 「依神」ってなんじゃらほい?って思う方の方が多いでしょう。
 (良くも悪くも)東方のそういった方面に関する知識を多く再生産してくださってる東方元ネタwikiを参照しても、そこに関する記述は見当たりません。
 たぶんあってるであろう答え(あくまでたぶんなので鵜呑みにしないでくださいね)を端的に述べると、これは「寄神」です。漂着神とも言います。
 有名どころをあげると、七福神のエビスさまです。エビスビールのエビスです。つまり、海の向こうからやってきた神を指します。

 疫病神、貧乏神というものは祀りかたというのがある一方で、追い払いかたもあります。火を焚くなり、赤い服を着るなりというやつです。
 追い払えるということは、やってくるという過程があるからこそできるものですね。寄神というのは、マレビトでもありますから。

 嫌われる神様が、人に好かれ祀られる七福神と同じ蕃神*1というのは面白いように感じます。
 しかしそこに理由がないわけではありません。なぜなら、漂着神というのはどこかで捨てられ、流れ着いた先で崇められるものなのですから。
 日本の記紀神話における蛭子はご存知でしょうか? 生まれながらにして体に不具を持ち、海に捨てられた子供ですが、これはエビスさまと習合します。
 エビスさまらが乗る宝船は、本来汚らわしいものを払うためのものだったと折口信夫は説いています。
 夢違科学世紀にもある「夢違え」は、悪夢を消し去る方法ですが、その一つとして悪い夢を船に乗せて流したのでした。
 

 そんなわけで、疫病神とは福神に通ずる、というよりも表裏一体なのです。
 日本の神には荒魂、和魂という考えを見ることができます。
 同一の神が、良い神様、悪い神様の二つの側面を持つという考えです。
 原初の疫病神、貧乏神は祀られ鎮められるものでしたが、近代以降その性質を変えていきます。
 貧乏神の有名な民話には、大みそかに貧乏神を祀ってやると「初めて祀られた」と感動して福をもたらすという形態のものが全国に見られました。
 似た話では節分の豆まきで鬼を歓迎してやると、お礼に財宝をもらうなんてのもありますね。
 これはつまり、善意によって彼らの悪しき面が良い面、福神的な面へと切り替わっていくものとして考えることができます。
 考えてみると、(うまくはいきませんでしたが)まるで女苑に対する聖のようではないでしょうか?
 また、紫苑に対する天子の爛漫な振る舞いにも比べられませんか?

 
 各位東方クラスタにおきましてはこれらの元ネタにぜひ一念を置いて、依神姉妹の創作をしてみてほしいものです。
 おわり。

 

*1:蕃神とは、外から来た神のこと、寄神の別の呼び方のようなものです